子育ては、一人でがんばってするものじゃないんじゃないか、といつも思う。がんばってやるもんではない。し、一人でやるもんでもない。
だからって、「地域で子育て」みたいなことは飛躍しすぎだ。
実感的に少なくとも私の住んでる東京の新宿区ではちょっと難しいかなと思う。新宿区は子育て支援は結構充実していると思うけど、でもあくまで支援。がんばってるお母さんの支援でしかない。

少し前なら祖父母世代だったり親戚一同が近所に住んでいたり同居していたりして、みんなで一緒に子育てしてたんだろう。
それより大分昔、人の寿命がそんなに長くなかった頃は祖父母なんてあんまりいなかったのかな?そのときはきっと近所の人たちと一緒に子育てしてたんだろうな。きっと家の機能を少しはみ出したような、かといって保育園みたいな施設ではない、公共的な場所と家的な場所の中間的な場所があって、そこで子供たちを一緒にみてたりしてたんじゃないかなと思う。
洗濯場みたいな存在感。
そう、子育てに限らず、洗濯だって食料調達(狩り/スーパーで買い物)だって今では一人でやることがかつては近所の人たちのまとまりでやることだった。
そう考えると、他人との距離感って今と全然違ったんじゃないかなと想像できる。自分の境界もちょっとちがったんじゃないかな?
いつも身体からすこーしはみだしたような身体像がしっくりくる。時にそのはみ出した部分が他の人のはみ出した部分と重なり、地面と重なり、木と重なるような。


なにか今の日本の社会って、子育てという点からみるとうまくいってない気がする。理想的な状態とみんなの認識が、制度が、身体がずれている。
どうしたらいいのか、あんまりわからないんだけど。
子育て家族のシェアハウスとかそんなことなのかな?でも子供できたら家買わなきゃみたいな社会じゃそんなこと実現できないのかな?