なんで哲学者とか科学者とかって大概男性なのか。
なんでかって、男性は不安なのだ。言葉による思考が必要だった。
だから、ああだ!といったり、いやその逆だ!といってみたり、そもそもその枠組みがどうだ!といってみたりする。

子供を産んでみてわかったことの一つだけど、女性というのはそもそも自分を超えたリズムを身体の中に持っている。月の満ち欠けにあわせて血が出るんだもの。それってつまり身体と自然がオーバーラップしているような状態である。そして出産。って、めちゃくちゃ痛くて獣のようになるんだけど、そこで感じるのは、私の身体は何十億年前の誰か(動物、人間でなくてもよい)と同じなんだという強烈な実感。亀だって涙を流すのだから。ネアンデルタール人と何も変わらない出産という出来事。
こうやって四次元的に肉体からはみ出した身体を元々持っている女性というのは、そもそも自然の原理に疑問を持たなかった。それは自分の身体の延長だから。生も死も自分の身体の中にある。
それに対して男性にとって自然は得体の知れないものとして、対象化されたんじゃないか、と思う。自然界の矛盾を様々な方法で解明し説明しようとしているのが哲学であり数学であり科学全般なのだから、それを必死でやるのは男性が多いというのは当たり前のことなんだと思う。


そんなこといいつつ難しいことばっかり考えている私は多少分裂しているのかもしれないけど、でもやっぱり物事を対象化する能力は男性にはかなわないと思うことが多々あった。大雑把にしか物事をみれないのだ。それをなんとかごまかそうとしてきたけれど、そんなことしないで、物事の中に入り込んで大雑把に思考することをどうどうとやればいいんだと思った。


この本を読んで思ったんだけどないようには直接関係なし。吉本隆明読みたくて、対談集から入ってしまったのは失敗だった。対談ってもう知ってる人向けの話だもんね。。。
ただ、いろいろ考えてみたいトピックがちりばめられていたのはよかった。

日本人は思想したか (新潮文庫)

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