例年より

semiが多いのでは。
と言う声の中、今日もsemiってきた。
デザイナーズハウスが現代社会の中でもっている「すまう」ことのいみについて。
メディアを特殊な敷地と捉えて、そこにたつデザイナーズハウスなるものをみようとしてるのだけど、結局「いかに住宅を商品として成立させるかってことしか言えないんじゃないか」とか、「おまえはそんなにメディアにもてはやされたいか」とか、いろいろなコメントを頂く。
ある特殊な敷地の特殊な建築の在り方をみていくことで、建築の存在に関わる議論を展開するってことは過去にもあって(私が思うに、ロース・ヴェンチューリコールハースがそれを展開したと。)、今、建築やってる若者なら誰しも何らかの危機感を持たずに入られないこの時代に、私たちの目の前に圧倒的な数量をもって現れた「デザーイナーズハウス」。これは偶然じゃない!なんて考えてしまうのは、ロマンティストすぎるのかしら・・・。
まあ、きっと切り口によっては展開するのでしょうが。