何度見ても打ち上げ花火には感動するしたぶんこれからも毎回感動し続けるんだろう


めかぶって、わかかぶなんだって。へー。


「今日の痛みと昨日の痛みを比べろっていわれても難しいよね。」といわれて、ふと考えた。
「比べる」っていうのはすごい作用なんじゃないか、と。全くかけ離れたものでも、とりあえず同じ土俵にのせないと始まらないから。
つまり、例えば私とカフェオレを比べるとすると、まず同一性の平面に載せないとどうしようもない。
私とカフェオレはいずれも「色があり」「重さが量れる」物体だという同一性
私とカフェオレはいずれも「混合物だ」という同一性
混合物を何か固いもので取り纏めている点では似ている(カップやパックに入ったカフェオレを想定)けど、私はなんか色とりどりの個体やら液体やらの混合物で、カフェオレはおもにコーヒーとミルクの混合物だ。

ていうかそもそも私は生き物だが、カフェオレは生き物じゃないんだけど、それも「生物ー無生物」の軸にのるということが基準にある。(「数学」とかそもそも物体じゃない概念もあると思うと、「生物ー無生物」の軸にのるということもりっぱな同一性だ)

素朴な作用でありながら力強い「比べる」の引力。物事を関係づける力。
そこでは差異が最も大きな問題になるようで、実は根底に同一性の平面がある。そうやって意識すればもっと丁寧にものごとを比べられるかもしれないと思った。差異のループにはまらないように、ちゃんとその平面を見ないといけない。