最近仕事以外では英語で話すことが多くなって、めっきり思考能力が落ちた。それは別に英語という言語の問題ではなくて、ひとえに私が英語の勉強を怠けていて表現が乏しいからなんだけど。
だいたい、単語言っときゃ伝わるだろうというスタンスだとものごとに筋道を立てて話さないから、色んなことを極端に単純化してしまう。しかもその単語に関してもたいした語彙はないし。

言葉は思考の道具だと、実感する。
「ほんわかする」とか「じーんとする」なんて言葉をしらなければ、この「良いか悪いかでいえばいい気分の中に入る気持ち」を切り分けることはなかっただろうし、そもそもほんわかしなかっただろう。英語ではここらへんの感情のなかにまた別の切り分けがあって、その範疇での感情をもったと認識することができる。


この前プレシャスという映画をみた。プレシャスっていう太った黒人の女の子が、お馬鹿で学校退学になり、自分の父親の子を二度も身ごもるわ、そのせいで母親に嫉妬されるわ、結局父親にHIVもらってるし、生まれて来た子はダウン症だしっていう境遇なんだけど、フリースクールで読み書きを覚えて、自分で何か表現するということに初めてふれて(表現といってもそれは日記をかくことなのだけど)、子供への愛情とか自分にいろんな種類の気持ちがあることとかを発見するっていうストーリーだった。

そんな境遇で自分の気持ちの種類に気づくというのは幸せなのか不幸せなのか分からないけど、ただリアルだなと思った。

来年くらいから英語も真面目に勉強しよっと。