レミゼラブル
メルボルンでみてきた。義母がプレゼントしてくれたゴールドクラスのチケットで。リクライニングシートにワインとチップス、部屋の中には私と旦那二人っきりという、なんとも贅沢なセッティング。

久しぶりに映画館で映画をみたからか、大音量と大迫力の映像に圧倒され、やばい、最後まで見れないかも、と不安になった。

ミュージカル一家に嫁入りして初めてミュージカルに親しむようになって、歌いながら語るという不自然なパフォーマンスが時として現実よりわかりやすくリアルにものごとを伝えられるということに気付いた。うまくできたミュージカルでは、登場人物の感情表現とか背景なんかを説明抜きにメロディによって表現できている。舞台という限られた場所で、かつライブで行うという表現方法の中ではとても上手いやり方だと思っていた。
それに比べて映画は映像を重ねることができるし、時間を行ったり来たりできる。いろんな場所を行き来できる。
さて、映画でミュージカルというのはどんなものか、と手探りでみはじめる。

結果感じたことのひとつは、歌の力。歌というのはこちらが何の準備もなく無防備でもお構いなく響いてくる。例えば英語がフォローできない部分でおいてかれても、メロディが引っ張ってくれる。そんな印象を受けた。

そして映画だから、やはり舞台よりたくさんのことを映像で表現できる。たくさんのこと、というより現実に近いことをというべきか。舞台だってよくできた舞台装置は本当にたくさんのことを表現し、観客のイマジネーションを喚起してくれるから。

もちろん、映画自体もすごく良くできていたなと思う。よく見る俳優さんが歌っていることにはじめぎこちなさを感じたものの…
わたしは結構入り込んでしまって、見終わったあとメルボルンの街にでた時に眩暈をおこした。
なんて平和な時代に平和な街にいるんだろう。小さい頃に思い描いたような幸せに近いところに、もしかしたらもっと楽しいところにいることができてるんだろう。
夢をみても血を流さなくていい時代。良くも悪くも、自分の立場をそこまで深刻に表明しなくていい時代。